論文を書くにあたって(2−1)
この章では実験項の書き方と、そのためのデータの揃え方について書きます。
ある化合物を作ったとすると、その作り方を論文の読者が同じ方法を採れば、同じものが出来るように、説明しなくてはいけません。まず、同じものであることの証明をどうすればよいのかを書きます。
新規低分子有機化合物の場合(モノマーなど)に必要なデータ
1H & 13C NMR (帰属を含む、後述)
元素分析 or HRMS(High-resolution mass spectroscopy, 後述)
IR(時に不要)
X線構造解析(異性体の決定など)
旋光度(光学活性化合物のみだが、必須)
沸点 and/or 融点
これらのデータは取れる限りは必要になります。特に元素分析かHRMSが合わないと、査読つきの論文では一般に新規化合物であることを認められません。新規でないものを新しい方法で作った場合は参考文献を明記した上で、1H NMRと融点、もしくはMS(HRMSでなくてもよい)のみなどでも問題ないことが多い。既報に従って作った場合は参考文献を上げて「既報に従って合成し た(A was prepared as reported. etc.)。」とのみ記述するのが適切です。
ここで、NMRスペクトルの帰属の表記法について例を示します。
1H NMR (CDCl3, δ in ppm) 5.14 (dd, J = 3.78 and 3.51 Hz, 2H, -CH-), 2.10-2.19 (m, 4H, -CHCH2-), 1.62-1.86 (m, 2H, -CHCH2CH2-). 13C NMR (CDCl3, δ in ppm) 155.55 (>C=O), 81.80 (-CHO-), 32.97 (-CHCH2-), 21.36 (-CHCH2CH2-).
この例ではCH2が二種類有るので、それぞれを判別できるように書き分けています(-CHCH2CH2- という構造があるので、-CHCH2CH2-、と-CHCH2CH2-)。 カップリングがあるピークについてはピークの分裂(s, d, t, q, dd, mなど)とカップリング定数(J)を書かなくてはいけません。詳しくは成書を参考にしてください。同じ場所に二種類以上の水素が観測される結果として多重線に見える場合はmとは書かず、分裂に関する情報は書かないのが適切です。活性水素(OHなど)などの幅広いシグナルはbrと書きます。また、活性水素がカップリングに影響するかは、化合物や測定条件によります(例えば低温では分裂したシグナルが観測されるが、高温では幅広いシングレットになるなど)。
ケミカルシフトの表記は昇順でも降順でも構いませんが、カップリングが厳密にあるピークの場合には中心のみを、mや複数ピークの重なりがある場 合には範囲を書くのが一般的です。δはここでは日本語フォントで書いていますが、英語の投稿論文を作成する際にはsymbolフォントの小文字のdを使いましょう (日本以外のPCに日本語フォントは入っていないので)。その他、マイクロもsymbolの”m”を使うなどします。ギリシア文字の一覧は例えばここなど。
また、測定の項に測定核の周波数を示しますが、例えば400MHzのNMRと言われるものは、一般に1Hの共鳴周波数が400MHzということです。13Cであれば相対的な共鳴周波数が0.251なので400x0.251=100MHzになります。以下に主要な核の相対的な共鳴周波数を記します。
核種 7Li 11B 13C 15N 19F 29Si 31P 相対的な
共鳴周波数0.388 0.321 0.251 0.101 0.941 0.199 0.405
HRMSとは高分解能マススペクトロスコピーのことで、小数点2桁以上の分解能をもつマススペクトロスコピーのことを指します。誤差が5ppm以内場合によっては小数点2桁まで合えば、その組成式が正しいと認められます。この場合、不純物があっても分子量は正しく出ますので、溶媒が含まれてしまったサンプルや濃縮すると不安定なサンプルなどに非常に有効です。
元素分析は一般に0.3もしくは0.4%以内の誤差であれば純粋な試料であると認められます(0.3%が一般的だが、各雑誌の基準を要確認)。吸湿しやすい液体試料は、よく乾燥したモレキュラーシーブを入れたサンプルではうまくいくことがあります。例えば、以下のように書きます。
Anal. Calcd for C9H11NOS: C, 59.64; H, 6.12; N, 7.73; S, 17.69. Found: C, 59.55; H, 6.22; N, 7.90; S, 17.41.
IRは主な吸収を羅列して、特に重要な吸収のみを帰属するのが一番多いように思います。人によってはすべての吸収を書くこともある。
沸点と融点は、既報よりも高い分にはより純粋なものが出来たということで済むことが多いのですが、低いと純度が低いおそれが大です。
新しいポリマーの場合必要なデータ
1H & 13C NMR (帰属を含む)
分子量(場合によっては粘度)
IR(時に不要)
旋光度(光学活性ポリマーのみ)
ポリマーのNMRは一般に幅広くシグナルが現れるので、ケミカルシフトは範囲で書くのが一般的です。このような場合、1Hでも分裂に関する情報は不要です(全部brなので)。ただし、柔軟なポリマーではカップリングが読み取れることも多々あります。一方、あまりにもピークが幅広い場合には昇温測定や極性ポリマーなら酸の添加が有効なこともあります。
その他必要に応じて、マススペクトルや熱物性、粉末X線回折等々がありますが、それが必要であるかはものによります。また、元素分析は合えば強いが、末端基の影響などから一般に合いにくいので無理に取る必要はありません。